美人画の名手といえば、東の鏑木清方、西の上村松園のツートップが思い出されます。
しかし、清方自身は美人を描くことが第一目的だったわけではないそうです。
興味の対象は市井の人々やその生活で、画業全体からは一貫した姿勢が感じられます。

FullSizeRender
展示風景
2022年は清方の没後50年目にあたる節目の年。 美人画で定評のある清方を、「生活を描いた画家」として見直す大規模な展覧会『没後50年 鏑木清方展』が始まりました。
FullSizeRender
展示風景
本展は東京国立近代美術館での開催を経て、京都国立近代美術館で7月10日まで開催されています。 京都では以下の4章構成で、概ね年代順に計109件の作品が展示されています(展示替えあり)。 清方の大規模な回顧展は関西では44年ぶりということで、テーマごとに展示された東京展に比べ、より清方初心者にやさしい構成となっています。

1章 木挽町紫陽花舎・東京下町にて(明治)

FullSizeRender
展示風景
明治11(1878)年に生まれた清方の初期の作品を展示。 戯作者の條野採菊を父に持つ清方は、はじめは挿絵画家として名をあげた。 肉筆画も学び、日本画家としても名を知られるようになっていく。

2章 本郷龍岡町・金沢游心庵にて(大正)

FullSizeRender
鏑木清方《墨田河舟遊》1914(大正3)年 東京国立近代美術館
大正期に入ると、第八回文展で《墨田河舟遊》が二等賞を受賞して文部省買い上げとなるなど、清方は東京画壇での存在感を増していく。 それにともない、挿絵の仕事を減らして本画に専心するようになった。 一方、官展の運営に不信を抱くようになった清方は、金鈴社のグループ展で作品を発表するなど、活動の幅を広げる。

3章 牛込矢来町夜蕾亭にて(昭和戦前)

FullSizeRender
展示風景
大正12(1923)年に起きた関東大震災とその後の復興を境に、清方は自らを育んだ明治時代を回顧する主題に取り組んだ。 当時の明石町の様子と明治の女性像を重ね合わせた《築地明石町》はその代表作であり、土地の肖像画とも呼べる独自の画境を開いた。 本章では歌舞伎、文学、明治風俗、江戸の名所を題材とした、円熟期を迎えた清方の作品が展示される。

4章 鎌倉、終の棲家にて(昭和戦後)

12朝夕安居(朝)
鏑木清方《朝夕安居(朝)》1948(昭和23)年、 鎌倉市鏑木清方記念美術館、5月27日~6月9日展示 ⒸNemoto Akio
戦禍により帰る場所を失った清方は、昭和21(1946)年、生活の拠点を鎌倉に移した。 印刷物や画帖、絵巻など、手もとで鑑賞できる「卓上芸術」を提唱し、民衆への芸術の普及を志した。 本展は以上の4章構成で、清方の画業を一望できます。 そのほか、京都会場のみで展示される作品も。 たとえば、清方の自己評価が高い《ためさるゝ日》が左右そろって展示されるのは、1982年の展覧会以来、40年ぶり。 左幅は通期、右幅は7月5日~7月10日に展示される予定です。
FullSizeRender
展示風景
本展が着目するのは、生活を描いた画家としての鏑木清方。 あえて「美人画の名手」という看板を外すことにより、私たちは清方芸術の本当の姿を見ることができるのです。 清方はたしかに美人を描きましたが、美人画が目的なのではなく、土地のストーリーを表現するのに必要だったから、女性を描いたのだと分かりました。 展覧会の解説にある「土地の肖像画」は、清方の絵画の本質を捉えた言葉です。
01-A築地明石町
鏑木清方《築地明石町》1927(昭和2)年、東京国立近代美術館、通期展示 ⒸNemoto Akio
実際、《築地明石町》をはじめとする清方の作品は、流れている時間が1枚の絵で的確に表現されている印象を受けました。 《築地明石町》には、髪を夜会巻に結い、小紋の単衣に黒の羽織をまとう女性が、物憂げに後ろを振り向く様子が描かれています。 盛りを過ぎた朝顔、霧に溶けて消えてゆきそうな帆前船が取り合わせられ、過ぎてしまった明治の時代を懐かしむストーリーが表されています。 背景を写実的に描写した作品ではなく、物と物の距離は曖昧なまま取り合わせられているので、幻想的な趣きも感じられました。 夢のなかに消えていく儚い過去だけれど、たしかにその土地の記憶でもある。 清方が1枚の絵で表現したのは、単なる美人ではなく、土地の記憶です。
01-B築地明石町(部分)
鏑木清方《築地明石町》(部分)1927(昭和2)年、東京国立近代美術館、通期展示 ⒸNemoto Akio
清方の作品を注意深く見ていくと、どの作品でも背景を含む小道具が巧みに組み合わせられ、1枚の絵でストーリーが表現されていることに気づきます。 挿絵画家としての経験が活きていることはもちろんですが、幼少期より文学に親しんできた清方の、物語を理解する力が発揮されているのでしょうね。
02-A新富町
鏑木清方《新富町》1930(昭和5)年、東京国立近代美術館、通期展示 ⒸNemoto Akio
何を描くかの膨大な選択肢のなかから、ほとんどを潔く捨て去り、本当に必要な最小限のものを取り合わせる清方の発想は、俳句の句作にも似ているような気がしました。 清方は文才にも優れていたそうですが、句作も向いていたんじゃないかあ、なんて思います。
03-A浜町河岸
鏑木清方《浜町河岸》1930(昭和5)年、東京国立近代美術館、通期展示 ⒸNemoto Akio
あえて美人画という看板を外すことにより、清方芸術は本当の姿を現します。 本展は生活を描いた画家としての清方を理解する、はじめの一歩になりそうです。 Share!▶︎ このエントリーをはてなブックマークに追加 ※取材許可を得て撮影しました。

展覧会基本情報

展覧会名:没後50年 鏑木清方展 会期:2022年5月27日(金)~7月10日(日) 会場:京都国立近代美術館(岡崎公園) 公式サイト:https://kiyokata2022.jp 問い合わせ:075-761-4111(京都国立近代美術館) 休館日:月曜日 開館時間:9:30~18:00、金曜は20:00まで(入館は閉館の30分前まで)

関連情報

YouTubeの動画づくりを頑張ってます!
読者登録していただくと、LINEに「アートの定理」の更新情報が届きます! コメント・メッセージはマシュマロで! ⇒マシュマロを投げる ※ネガティブな内容、性的な内容、スパム等はAIにより削除されます。 弊ブログのメインコンテンツは展覧会の感想です。 最新のレビューは「アートの定理 トップページ」からご覧ください。 ツイッターでは、ブログに載せていない写真も掲載しています! 最後まで記事を読んでくださり、ありがとうございました! 良かったら応援クリックお願いします! にほんブログ村 美術ブログ いろいろな美術・アートへ
にほんブログ村